移住者紹介
IMMIGRANT
定年を待たず、人生を選び直す。高鍋町で見つけた“1分1秒”の贅沢。
生信 良夫さん
宮崎県高鍋町へ移住し、第二の人生を歩み始めた生信(いきのぶ)良夫さん。
定年を目前にして選んだのは、サーフィンや新しい仕事、そして人とのつながりに恵まれた日々でした。
奈良県に生まれ育ち、その後、大阪府へ。橋梁の補修工事を生業にしていた生信さんの趣味は、サーフィンでした。
海までは車で2〜3時間、仕事も多忙でなかなか趣味に没頭する時間が持てないなか、楽しみは年に1〜2回の宮崎旅行。
良い波を求めて県内あちこちの浜辺へ車を走らせ、思う存分サーフィンを楽しむ束の間のひととき。日々の疲れを癒やしながら、 “理想の生き方”について思いを馳せていました。
「体が元気なうちに、人生を楽しみたい」
そんな想いが、生信さんの背中を押したのです。
出会いは大阪・梅田の移住相談会。人の良さから感じた「町の温度」。
―どうして、宮崎県のなかでもここ「高鍋町」を選んだのですか?
ある日、妻が「梅田で宮崎県の移住相談会があるみたいよ」と教えてくれ、ふたりで足を運びました。
そこで一番心を引かれたのが、高鍋町でした。
意外かもしれませんが、一番の理由は“人の魅力”。
さまざまな市町村のブースで話を聞くなか、「ぜひ遊びに来てみてくださいよ!」と気さくに声をかけてくれた、当時の移住担当・野村さんの言葉に、人柄の温かさと熱意を感じたのです。僕もすぐ、その気になりました。
不動産店を紹介していただくなど、親身にサポートしてくださいました。
ちなみに野村さんは現在は異動されていますが、実はわが家の隣のマンションに住まわれていて。今でも顔を合わせれば自然と言葉を交わす仲です。
―決断してから移住まで、どれくらいの準備期間がありましたか?
年に数回通いながら、だいたい2年ほどかかりました。一番の難関は家探しでしたね。
土地勘がないので、より住みやすい場所を求めて、町内あちこちの物件を見て回りました。
最終的には「サーフィンのために海に近いほうがいい。でもスーパーにも近いほうがいいだろう」という結論に。生活に便利なエリアを選びました。それでも、海までは車で10分ほどしかかかりません。
サーフィンがつなぐ、新しい仕事と「仲間の輪」。
―今のお仕事は何をされていますか?
キャベツ農家さんの手伝いと、訪問マッサージ事業所でのドライバー業務を掛け持ちしています。
移住して最初の1年は、サーフィンに明け暮れながら家の用事をこなす毎日でした。
「そろそろ働かないと」と思っていた、まさにそんな矢先のこと。まず、サーファー仲間の木下さん(生産者)が「明日から農作業を手伝ってみないか」と誘ってくれました。さらにその半年後には、同じくサーファー仲間の社長さんからも「仕事を探しているなら、うちに来なよ」と声をかけてもらったんです。
どちらもありがたくお受けして、今の形に行き着きました。
〔一緒に浜へ向かう生信さんと木下さん。写真は、町内でサーフショップ「イーストリバー」を営む東川さん提供。サーフィンを通じて“友人”と呼べる人も増えた〕
〔キャベツのほか、白菜や茶葉の栽培・収穫、土づくりなど、一年を通してさまざまな農作業を手伝う〕
―移住後の生活で、予想外だったことはありますか?
良い意味で裏切られたのは、「スーパーの近くに住む必要性なんてなかった」ということですね(笑)。
高鍋町の野菜は美味しいとよく言われますが、本当にその通り。そして実は、ほとんど自分で買ったことがありません。
生産者さん同士のネットワークで、キャベツや玉ねぎ、人参などを分け合っているんです。それを「持って帰って」とアルバイトの僕にまで分けてくれる。ご近所さんからもよく分けていただきます。これには夫婦ともども大喜びです。
もちろん肉や魚、日用品は購入しますが、野菜をいただけるだけでも食費はかなり助かります。
しいて不便を挙げるとすれば、「飲食店の営業日」でしょうか。
高鍋町の個人経営の店舗は、日曜日が定休日のところも多いですよね。
日曜日は妻と外食するのが定番なのですが、お目当てのお店が閉まっていて、少し残念な気持ちで近くのチェーン店へ…なんてこともよくあります(笑)。大阪ではあまりなかった経験なのでちょっと驚きつつも、今はそれすら新鮮に感じてますね。
体が動くうちに、太陽とともに生きる道へ。
―移住前後で、最も大きく変わったことは何ですか?
「明るいうちに働く」生活になったことですね。
午前4時に起き、日の出とともに家を出て海へ向かう。
朝日に照らされながら波に乗り、午前8時ごろから農作業へ。夕方には作業を終え、午後8時には床に就きます。
「今日は波がいいぞ!」となれば、早めに切り上げて木下さんと一緒に浜に下りることもあります。
〔木下さんご家族と生信さんの連携プレーで次々と選別・箱詰めされていくキャベツ。時折軽口が飛び交い、畑に笑い声が響く〕
大阪時代は橋梁補修の仕事で、現場によっては夜勤もあり、県境をまたいで数か月に及ぶ出張に出ることもしばしばでした。
自由のきかない、「仕事中心の毎日」だったと思います。
59歳のとき、その仕事を退職し、移住を決断しました。
周囲からは「あと1年で定年なのに、どうして今なのか。もったいない」と言われました。
でも、この体があと何年、健康に動いてくれるかはわかりません。
1分1秒でも長く、思うままの人生を歩み出したかった。
あれから2年が経った今、その選択に少しの後悔もありません。
「一度おいでよ。なるようになるから」
―移住を検討している方へ、メッセージを伝えるとしたら?
「大丈夫、大丈夫。ぜひ一度おいでよ。なるようになりますから」
あの日、梅田で野村さんが僕にかけてくれた言葉を、今度は僕が誰かにかけてあげたいですね。
まちの景色を見て、自然を肌で感じてみる。
やりたいことができそうなら挑戦すればいいし、合わないと思えば戻ればいい。
気負わず、前向きに。まずは飛び込んでみてほしい。
人生は一度きりですから。
