移住者紹介

IMMIGRANT

暮らしも、仕事も。どちらも妥協せず、追求した先に。

ヤミー・フードラボ

杉原 千聖さん

兵庫県に生まれ育ち、関西の大手通信会社の職に従事していた杉原さんは、サーフトリップで訪れた宮崎に惚れ込んで26歳で移住を決意。
心惹かれるままに行動し続けた結果、辿り着いたのが高鍋町でした。

−まず、「宮崎」と出会ったきっかけについて教えてください。

大阪で多忙な毎日を送っていたある日、PCが壊れて業務データが飛んでしまうという事件に見舞われまして(笑) もう何もかも嫌になり、当時始めたばかりだったサーフィンで癒されようと旅立った先が「宮崎」だったんです。
初めての宮崎旅行で驚いたのは、心地よい気候と、満点の星空。そして何より、よそ者の私に対しても気さくに話しかけてくれる、圧倒的な“人の温かさ”でした。

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〔滞在中に台風が通過した時、夜中に民宿の女将さんと消防士に連れられて一時避難した経験もあると言う杉原さん。その際に目の当たりにした地元民の繋がりの強さや優しさにも、衝撃を受けたのだそう〕


すっかり心を奪われた私は、2ヶ月に1度のペースで宮崎に通う生活を3年ほど続けました。
以前の仕事は数年おきに転勤がある総合職だったこともあり、私にはかねがね「自分が気に入った環境に身を落ち着けたい」という願望や、「自分の好きな分野で “スペシャリスト”として働いてみたい」という夢がありました。
そんな最中、転勤の話が持ち上がったことが契機となり、「辞めるなら今だ」と一念発起。
大好きな環境での暮らしと自分に合った理想の仕事を求め、宮崎に移住しました。

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― 思い切った決断でしたね。
  しかしなぜ、宮崎の中でも「高鍋町」だったのでしょう。

それは、高鍋町に本社を構える『ヤミー・フードラボ』に就職したのがきっかけでした。
実のところ、そこに至るまでには紆余曲折あるのですが…。
最初の移住地は、当時たまたま「地域おこし協力隊」を募集していた川南町。
私は緑少ない兵庫県の市街地で育ちましたが、幼いころに両親がよくキャンプや農業体験に連れて行ってくれたおかげで農業や地域振興に興味があったため、まずは「地域おこし協力隊」として働くことにしました。
JAの直売所に勤めながら農産物の魅力を発信したり農家さんの相談にのったりするのが主な仕事でしたが、コロナ禍でSNSでの情報発信やEC販売にチャレンジしたいという相談が増えてきたんです。しかし、私の知識不足で力になれないことも多く、もどかしい思いをすることも。その経験が、今わたしが従事している「Webマーケティング」の道に通じています。
地域おこし協力隊の3年の任期を終えた後は、早速、宮崎市の職業訓練校に通ってWebの知識を学びました。『ヤミー・フードラボ』を知ったのは、その頃。Webを通じてナッツや魚介の乾物などを中心とした宮崎の美味しいものを全国に届けている会社で、ECサイトの運営や売上向上のノウハウを培いながら地域貢献ができるところが私の目標とピッタリ合致したため、応募を決めました。

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― 運命的な出会いですね。
  実際に、『ヤミー・フードラボ』で杉原さんはどのようなお仕事を?

商品画像などのECに使用する素材のデザイン制作を行いながら、最近スタートしたサブスク型のWeb制作サービスを提供する事業に携わっています。後者は営業・企画提案・ディレクション・デザインを一通り担当させていただいており、大変ではありますが、だからこその面白みもあります。
お客様は、地元の飲食店や中小企業がほとんど。生の声を伺う機会も多いのですごくモチベーションになりますし、楽しいですね。私、おしゃべりが好きですし(笑)

― 職場の雰囲気はいかがですか? 見る限り、女性が多いですね。

はい。すごく和気あいあいとしていますよ。
私がサーファーであることは社内に知れ渡ってるので(笑)、「今日は波がいいんじゃない?」とか「海が荒れてるから、今日は無理そうだね」と声を掛けてくれる方も多くて。うちの社屋はオーシャンビューなので、波のコンディションがすぐわかるんですよ!
ただ、社内のサーフィン仲間は今のところ社長しかいません(笑)。意外とみなさんインドア派なんです。

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〔同社で“サーフィン部”を結成している社長・谷口竜一さん(自称:丘サーファー)と杉原さん。「始業前にサーフィンして、濡れた頭のまま出社してきたこともあったよね、杉原さん(笑)」「乾かす時間がもったいなかったんです!」とくだけた調子で話に花を咲かす〕

― 職場がオーシャンビューなのはすごい。海がすぐそばにあるんですね。
  サーフィンはどのくらいの頻度で?

週末は必ず、平日は行ける時に。多い時は、毎日、海に入ります。
平日は主に出勤前の時間に楽しむのですが、夏場は19時頃まで十分明るいので、退勤後に海へ直行することもあります。
ちなみに家も海に近く、部屋の中でも耳をすませば波の音が聞こえるほど。ザザザ…という音が大きいと、「今日はサイズ(波の高さ)があるなぁ」ってわかるんです。

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関西在住のサーファーさんとは今もSNSで繋がっているのですが、「海に入らない日もある」なんて言うと怒られちゃうんじゃないかというくらい(笑)、今の環境はとんでもなく“贅沢”なんです。関西だと、わざわざ高知県の海まで足を伸ばさなければいけませんから…。
移住してからというもの、なんら気張る必要もなく、気が向いた時にサーフィンができる。海が私の“生活の一部”になったんだと、嬉しくなります。

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〔杉原さんが頻繁に通っている高鍋のサーフショップ「イーストリバー」にて、同店を経営するプロサーファー・東川泰明さんと。サーフィンを通じ、繋がりも増えた〕

― 素敵ですね。
  サーフィン以外に、新しく見つけた趣味はありますか?

私、「直売所巡り」が大好きになったんです。直売所は地元にも無いわけではないけど、身近にいくつもある環境は初めてなんですよね。
そういえばこの前、直売所で長芋を吟味しているところを知り合いに目撃されて、ちょっと恥ずかしかったです(笑) 普通のスーパーでは見かけない珍しい野菜や、びっくりするくらいお手頃な野菜がたくさんあって、ついつい熱心に買い物してしまうんですよね。質も本当に良くて、焼くだけで感動するほど美味しい! おかげで、料理が楽しくなりました。

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― そんな毎日、想像するだけで幸せです。
  理想の暮らしと仕事を求めて、一歩踏み出した杉原さんの勇気がもたらした結果ですね。

振り返ってみると、勇気というほどのものでもなく、単なる「若気の至り」だった気もします(笑)
ただ間違いなく言えるのは、無鉄砲に飛び込んでしまいたくなるほど、宮崎が魅力的な場所だったということ。
移住後5年の道のりは決して楽ではありませんでしたし、仕事のスキルもまだまだ研鑽を積んでいるところですが、挑戦したからこそ手に入れたこの毎日に、とても満足しています。

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