移住者紹介
IMMIGRANT
地域に溶け込み築いた“輪”。自然と人に触れ、音楽の新たな境地を発見。
音楽家・農家
天満 俊秀さん
地元大阪でギター教室を経営していた天満俊秀さん。
祖父が暮らしていたまちとして高鍋町には幼い頃から親しみを感じていたと言う俊秀さん。
夫婦で移住を決意してから10年かけて着々と準備を進め、2014年に移住を果たしました。
翌年には農業をはじめ、ゆくゆくの目標として農家民宿をしたいと語っていたおふたり。
6年が経過した今、果たしてどのような暮らしを営んでいるのでしょうか。
オープンしたカフェが町内外から人が集まる場所に。
― 移住して6年が経過しましたが、暮らしの変化はありますか?
俊秀さん : 自宅を増築して、かねてから計画していた農家民宿を始めました。主に音楽活動を通じて知り合った方が泊まってくれましたね。2016年から2年ほどやっていましたが、その場所に大阪から両親を迎え入れて、現在は両親とともに暮らしています。その間に、農業面では、規模を拡大して約20種類ほどの野菜を作れるようになりました。
俊秀さん : また、昨年8月から自宅がある敷地内にカフェ「YORAKUSHA」をオープンしました(現在は感染症拡大防止のため休業中)。畑で獲れた野菜も出しているんですよ。金土日のみの営業ですが、町外からもたくさんの方に足を運んでいただいています。地域の方々も、遠方から人が来ることに喜ばれていて、私もうれしく思いますね。
― “移住”で難しい部分はどんなところですか?
俊秀さん : まずは、仕事ですよね。農家民宿に来ていたゲストにも、度々相談を受けていました。都会とはまったく違う生活環境になるわけですから、実際どうやって生計を立てていけばいいのか不安を抱えている方は多いと思います。
それに、「移住先に何を求めるか」ってそれぞれだと思うんですけど、それが一致しないと失敗しますよね。私の場合は、移住するまでに10年近く足を運んでいたことでミスマッチを防げたんだと思いますね。
人との関係性が深まるごとに生活が一層楽しくなる。
俊秀さん : そして、都会での暮らしと少し違うのは、地域の人との「付き合い」が絶対必要です。これを都会の感覚のままでやってしまうと、逆に、地域の人はびっくりされてしまうでしょうから、結果として移住生活がうまくいかなくなりますよね。大阪にいた頃は、“人のつながり”というものが希薄に感じていたんですが、こっちで暮らしてみると、みんなつながっているんです。
俊秀さん : 人付き合いがストレスなくできれば、仕事や住む場所の情報を得るのも難しくないですし、農業だって、いろんなことを教えてくれます。今では、地区の会計監査を任せてもらっているんです。これって地域の方に信頼してもらえてるってことじゃないですか。うれしいですよね。ちなみに、地区で催す忘年会は、私の店でやっているんですよ。付き合いが深まるほどに、ここでの生活は楽しいですね。
― 今の暮らしで天満さんが得たものは何でしょうか?
俊秀さん : 私は、ロックやポップというジャンルの元となる、「ルーツミュージック」をテーマに約20年活動してきました。農業を始めたのも、農村で生まれたとされるルーツミュージックを追求したいという思いから。この音楽が創り出される環境に身を置けて良かったなと思います。自然が豊かなことや人付き合いが濃ゆいこと、そして農業が日々の営みとしてある生活を肌で感じてみて、ルーツミュージックのイメージがはっきりと掴めてきています。例えば、夕暮れまで農作業をしていたりすると、その風景にあったBGMが自然と頭に浮かんでくるようになったんですよ。“ギター弾き”としては、本当に貴重な時間を過ごせているなと思います。
― 今後の目標はありますか?
俊秀さん : 地方の良さを都会で暮らす人に向けて発信していきたいです。都心に比べて、地方は間違いなく“生活の豊かさ”があると思います。ゆくゆくは、地元に人が戻ってくるような流れができてくるといいなと思いますね。